株式会社 東京美術
| 会社設立 | 1960年(昭和35年) | 
|---|---|
| 本社所在地 | 
                      〒170-0011 東京都豊島区池袋本町3-31-15 各事業部の所在地  | 
                  
| URL | https://www.tokyo-bijutsu.co.jp/ | 
| 資本金 | 3,500万円 | 
| 役員紹介 | 
                      代表取締役社長 大河内 雅彦 取締役 伊藤 雅之 取締役 戸倉 克輔 監査役 森川 茂宣  | 
                  
| 社員数 | 188名(2025年5月末時点) | 
| 主要取引銀行 | 
                      みずほ銀行池袋西口支店 三菱UFJ銀行西池袋支店  | 
                  
| 主な取引先 | 
                      シチズン時計株式会社 シチズングループ各社 株式会社テレビ朝日クリエイト 株式会社テレビ東京アート 東京国立博物館ミュージアムショップ 奈良国立博物館ミュージアムショップ 京都国立博物館ミュージアムショップ 九州国立博物館ミュージアムショップ 太田記念美術館 日本出版販売株式会社 株式会社トーハン 楽天ブックスネットワーク株式会社 財団法人母子衛生研究会 LINEヤフー株式会社 フリー株式会社 ワールド通商株式会社 大日本印刷株式会社 凸版印刷株式会社 光村印刷株式会社 株式会社竹尾  | 
                  
営業案内
- 図書出版及びMD業務
 - 企業出版企画・編集・制作
 - 商業印刷企画・制作
 - 技術マニュアル翻訳・制作
 - コンピューターグラフィック・TVタイトル・テロップ・フリップ制作
 - ホームページ企画・制作・管理
 - プロモーション用DVD企画・編集・制作
 - 東京国立博物館内ミュージアムショップ書籍コーナー運営
 - ミュージアムグッズの制作・販売
 - その他販促品制作
 
沿革
- 2010年代
 - 
                    
2020年 
(令和2)3月 創立60周年 2016年 
(平成28)10月 FSC® C132394認証取得 2016年 
(平成28)1月 株式会社アートワード東京を吸収合併 2014年 
(平成26)4月 千葉市美術館にミュージアムショップ開設 2010年 
(平成22)3月 創立50周年  - 2000年代
 - 
                    
2007年 
(平成19)3月 プライバシーマーク使用許可を取得 2005年 
(平成17)5月 本社ビルをリニューアル 2004年 
(平成16)4月 映像センターをリニューアル 2004年 
(平成16)4月 シチズン時計株式会社の子会社となる 2003年 
(平成15)9月 香港オフィス開設 2000年 
(平成12)6月 香港を拠点とした中国での印刷開始 2000年 
(平成12)2月 株式会社 東美制作センターを吸収、印刷事業部オフセット部に変更  - 1990年代
 - 
                    
1992年 
(平成4)3月 オフセット印刷部門を分離し、株式会社 東美制作センターを設立 1991年 
(平成3)3月 シチズン商事の子会社となる 1990年 
(平成2)4月 東京国立博物館本館にミュージアムショップ開設 1990年 
(平成2)4月 株式会社 東京美術製版を株式会社 アートワード東京と社名変更  - 1980年代
 - 
                    
1987年 
(昭和62)3月 組版部門を分離し、株式会社 東京美術製版を設立  - 1970年代
 - 
                    
1976年 
(昭和51)4月 オフセット製版部門を分離、株式会社 東京プロセスを設立  - 1960年代
 - 
                    
1965年 
(昭和40)8月 オフセット製版部門新設 1965年 
(昭和40)4月 東京国立博物館本館に直営の売店開設 1963年 
(昭和38)5月 オフセット印刷部門新設 1961年 
(昭和36)10月 NET(現テレビ朝日)テロップ業務開始 1961年 
(昭和36)9月 東京国立博物館の出版・印刷業務取引開始 
シチズン時計の印刷および販売促進業務の取引開始1960年 
(昭和35)3月 宣伝企画・出版・印刷業として会社設立  
東京美術とバーナード・リーチ
                  
                       イギリス人のバーナード・リーチは香港に生まれ、幼少期を日本で過ごしました。その後イギリスに帰国しますが、1909年22歳の時に高村光太郎に招かれ再来日します。1911年
                      茶会で楽焼を体験したことがきっかけで陶芸に興味を持ち、六代尾形乾山に入門し、のちに七代乾山を名乗ることを許されるまでになります。バーナード・リーチは英国人である自分と東アジア、とりわけ日本との繋がりのなかで、自作の理念を「東と西の結婚」と定めます。何度も行き来した自身の姿を巡礼者として作品の中に描くようになります。
                       1966年には朝日新聞主催で「バーナード・リーチ展」が開かれます。その時刊行された図録の表紙にはひとつのモチーフがデザインされていました。「巡礼者」です。
                       当時、社章を持たなかった東京美術は、社の理念である「美の求道者」に重なるものであると考え、乾山の研究者から、バーナード・リーチを紹介されていた初代社長・佐々藤雄が直接バーナード・リーチから「巡礼者」の使用許可を得てリーチマークと称し、社章としました。バーナード・リーチはこのモチーフに寄せて「これは私です。そしてあなたがたすべてです。人はすべて道を求めるという共通の場に生きています」と語っています。
                    
                        
                          東京美術社章:リーチマーク
                          バーナード・リーチ「巡礼者」
                        
                        バーナード・リーチの承認書